「男と女U」  「萩原さんって、どんな女性(ひと)が好みなのですか?」  ある日、飲み会の三次会のBarで藤次郎は部下の毛利素子にからまれていた。この頃に なると、藤次郎の部下は殆ど家に帰り、いつもは藤次郎も帰るところであるが、珍しく素 子に誘われてBarに行った。  「…どんなって、言ってもなぁ…」  酔っ払って目が据わっているが、期待の目で藤次郎を見つめる素子をよそに、藤次郎は 天を仰いで暫く考えていたが、  「いいオンナかなぁ…」 と言って、藤次郎は素子の顔を見直した。しかし、その一言を聞いた途端、素子は「…嗚 呼やっぱり、男は容姿なんだ…」と思い、複雑な表情をした。  しかし、この日は珍しく藤次郎は素子の表情から素子が考えていることを察して、  「おいおい、俺の言っているのは、”いいオンナ”であって、ただ単に”美人”とか ”スタイルがいい”とか言ってる訳じゃないぞ!」 と言った。玉珠と結婚してから、藤次郎も女性の考えていることが少しは判るようになっ たらしい…それを聞いて素子はハッとして、まじめな顔をして、  「では、萩原さんが言う”いいオンナ”ってなんですか?」 と藤次郎に聞いた。その言葉を受けて藤次郎悪戯っぽく、  「俺の場合は、結構ハードル高いぞ!」 と言って、ニンマリ笑った。そして、素子を焦らした…素子は藤次郎の周りにいつもいる 新妻の玉珠は勿論のこと、未だに藤次郎にまとわりついている(…と勝手に素子が思って いる)上司の宗像幸子や同僚の上杉景子などの女性達を見て、いったい藤次郎の魅力が何 か知りたいばかりか、藤次郎のもつ女性の理想像が何かを知りたくて、酔った勢いもあり、 藤次郎に聞いたのであった。でも、当の藤次郎は何も考えておらず、妻玉珠の普段の事を 思い出していた。  「まずはな…」  長い沈黙の後、藤次郎の重たい口調に  「まずは?」 と、素子は息をのんだ。  「普段の気遣いかなぁ」  笑って言った、藤次郎の意外とスッキリとした言葉に  「普段の気遣い」  素子はオオム返しのように藤次郎の言葉を繰り返した。そう言いながら、素子はなにか 重要なヒントを掴むべく、藤次郎の言葉を心に刻んでいた。  「俺の気の回らないところをさりげなくフォローしてくれて、また時にははっきりと注 意してくれるひとで、でも出しゃばらず」 と酔った勢いで、手振りを交えて言う藤次郎の言葉に対して、それが理解ができずに素子 は、  「…すごい難しいですね」  素子は視線を藤次郎から外して、手元にあるドライマティーニのグラスに目を移して苦 笑した。それを気にせず、藤次郎は  「ある時は、黙ってついてきてくれて、またある時はハッキリと意見する」 と、続けた。  「それでも、難しいですね」  相変わらず、視線をグラスに向けたまま、素子は頬杖をついた。そんな素子を見ながら、  「でもね、人と人とはコミュニケーションなしでは絶対成り立たないから、たとえ夫婦 でも、反対意見はハッキリと言って貰わないとね」 と、藤次郎は高揚させるような仕草をしながら言った。そんな藤次郎をよそに  「そうですね」 と言って、判ったようなふりをしながら、素子はグラスを傾けた。それから、次の答えを 求めて素子は藤次郎に視線を向けた。その視線を受けながら、藤次郎は  「次は…」 と、続けた。  「次は…?」  素子は悪戯っぽく、藤次郎の顔を見つめながら言った。  「頭のいい人だね」  首を傾げて言う藤次郎に対して、  「頭のいい人ですか?」  なんとなく、当たり前のような藤次郎の答えに幻滅しつつ、素子は眉を動かしただけで 藤次郎を見つめた。  「そう、男と女って、まったく別の生き物みたいな物だから、それが判っていて相手の ことを考えないとね」 と、平然と言う藤次郎に対して、素子は「なるほど」と思いつつも、皮肉として、  「…それは、相手の人も頭が良くなくては駄目ですね」 と微笑んで切り返した。その言葉がグサリと胸に刺さったのか、  「…いやはや、申し訳ないけどね」 と言って、藤次郎は素子から視線を外して俯いて頭を掻いた。それからしばらくの沈黙の 後、藤次郎はおもむろに思い出したように、頭を上げて  「そうだ、沈黙が苦にならない人」 とおどけた表情で言った。  「…どういう事ですか?」  藤次郎の言葉に腑に落ちない素子が藤次郎の顔をらのぞきこむように訪ねると、逆に当 の藤次郎が困った表情をして、  「うーーん、黙っていても通じ合えるというか…会話がなくとも楽しめるというか…」 と上手く説明できずに、曖昧な事を言った。しかし、素子は藤次郎の言葉から、藤次郎の 心中を察して、  「かなり、高度な事ですね」 と、薄く笑いながらも、これが肝心なことと考え、難しい表情をしながらも、藤次郎を見 据えて言った。  そうして、自然に二人は同時に自分のグラスを傾けた…また暫くの沈黙の後、  「それから、一緒に歩ける人」 と藤次郎はポツリと言った。その言葉に対して、素子は敏感に反応して、  「…それだけですか?」 と、あっけにとられて聞き返した。そんな素子に対して藤次郎は、手振りを交えながら、  「人に歩調を合わせるのってぇのは、実は難しいのだよ。デートで男の人と歩いてごら ん。なかなか他人とのペースに合わせて歩くのは難しいから…」 と言い聞かせるように言った。  それを聞いて、素子は普段自分勝手に歩く自分の姿に気づいて、  「…まるで、人生みたいですね」 とわざと揶揄して言った。それを聞いて、藤次郎はそれを揶揄とは気づかずに、「判った かな」という顔をして、  「そう…なもなぁ…」 と言って、目の前のダイキリのグラスを飲み干した。そうして、バーテンダーにマンハッ タンを注文して、目の前の空になったグラスを見つめながら、思い出したように、  「あとは、一緒にお酒が飲めることかなぁ…」 と、しみじみと言う、藤次郎の言葉の意味をくみ取って、  「それは…また…一番難しいですね」  素子はまた苦笑した。結局、当初の予想通り、藤次郎の言う”いいオンナ”と言うのは、 ”藤次郎にとって都合のいいオンナ”であることが判っているのだが、話を聞いていると、 藤次郎もまた妻の玉珠に合わせている(…と言うか、玉珠にそうなるように教育されたと いうか…)と言うことが藤次郎の言葉の端から感じ取れたので、  「でも…その全部に当てはまるのが玉珠さんですね」 と言う素子の問いかけに対して、  「そうだよ。でも、そんなこと聞いてどうする…さては、好きな男性ができたかなぁ…?」 と言って、今更ながら気づいて悪戯っぽく笑う藤次郎に  「…それって、セクハラですよ!」 と、素子はうれしそうに応酬した。その素子の言葉に嫌悪感がないことを確認してから、 藤次郎は話を続けた。  「すごくヒドイ言い方だけど、女性と付き合うということは、道楽みたいなものかもし れない」 と、少しおどけた表情で言った。しかし、素子は真剣に受け取って、  「…それって、本当にヒドイ言い方ですね」 と、少し藤次郎に突っかかる言い方をした。藤次郎は、それをあえて無視して、  「だろ?」 と、またおどけて言った。  「女性の人権を無視しています」  相変わらずの藤次郎の態度に、少し腹が立ってきたのか、素子は詰問するような口調で 言った。しかし、  「いや、それは違う」  「…?」  藤次郎が、いきなり真面目に素子の言葉を制したので、素子は驚いた。それを見て、藤 次郎は優しい顔になり、  「女性自身とか、人権とかは、どうとは言ってない。女性と付き合う行為自体が道楽み たいなものと言っている」 と、解いて聞かせるように素子に言った。  「…付き合う行為?」  まだ、藤次郎の言葉が理解できない素子は、藤次郎に聞き返した。  「そうだ。お金をかければ、いい思いができるかもしれない。また逆にひどい目にあう かもしれない」 と言って、藤次郎は目の前のマンハッタンを一口含み、口を潤すと、  「たとえば…高価なプレゼントしたり、おいしいものを御馳走したり、面白い会話をし たりして、相手の反応を見て、次の手を考える…その駆け引き自体が道楽みたいだと言っ ている」  それを聞いて、素子は納得し、  「…きっと、向こうも道楽と思っていますよ」 と言って、藤次郎に切り替えした。  「ハハッ、違いない!」 と言って、藤次郎は素子に一本とられたとばかりに笑った。それにつられて素子も笑った。 藤次郎正秀